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2014年12月ウインターキャンプに参加する仙台市在住の羽音ちゃんの母の東日本大震災体験記

「東北の子どもたちをスイスのキャンプへ!」プロジェクトで2014年12月スイスのウインターキャンプに参加する羽音ちゃんのお母さんのエッセイ

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東日本大震災の体験談


あの日あの時あんな大惨事が起こるなんて誰が予想しただろう。震災から3年半が過ぎた今も、避難先で暮らす被災者は20万人を越えます。

2011年3月11日に発生した東日本大震災。

私は幼稚園から帰ってきた娘と自宅にいた。

14時46分。

携帯から緊急地震速報を知らせる警報音が鳴り、数秒後に激しい揺れに襲われた。素早くテーブルの下に隠れた娘を確認しテレビを押さえたが、いつもの揺れではなく、強く、長い。

「お母さん、早く!!」振り返って娘を見て少し驚いた。宮城県沖地震の時、私も娘と同じ幼稚園児だった。娘の姿が、同じようにテーブルの下に隠れたあの時の自分と重なったからだ。

自分もテーブルの下に入り揺れが弱くなったところで外に出ようと玄関まで出ると、さらに強い揺れに襲われそこに娘を覆うようにしゃがみこんだ。

揺れがおさまり公園へ避難し同じマンションに住む友人と、カーナビでテレビを点けるとそこには信じられない映像が次々映し出された。同時に津波警報を知らせる日本地図の画像。私の実家がある小さな町、七ヶ浜町も真っ赤に点滅して津波警報を伝えていた。数年前に父は死去しており一人暮らしの母がそこにいる。運転できず逃げるなら徒歩。高台への避難ルートを考えてみるが、、、徒歩で逃げきれるだろうか、無理ではないか。もっと海辺に住む親戚達はどうだろうか。

お願い  一刻も早く   高い場所へ
祈るしかありませんでした。

夕方夫と合流し、その日は車で眠った。
少しでもテレビやラジオから情報が欲しかった。

目をつぶり何度も実家や親戚達の家と海との距離を思い返してみるが、津波がどこまできたか見当もつかない。
生前、父と散歩した時の事を思い出した。

「お父さん、もしさ大きな地震がきたら、うちまで津波来ないかな?」

「ははは!ここまで津波がくる訳ないよ!大丈夫!」

真っ黒に日焼けした父の笑顔が何度も浮かんでは消えた。


寝たのか寝なかったのかわからぬまま朝をむかえ弟が合流した。

ガソリンの残量を考えると、母を探しに行けるのは1回か、2回。余震が続く中、ガソリンスタンドに行列を作る仙台市内を抜けると景色は一変した。地割れで道路はえぐれ、海水と泥で浸ったコンテナとがれきの山。たくさんの車がへしゃげ道路や家屋に縦に突き刺さっていた。少しでも気を抜けばタイヤはパンクするだろう。細心の注意を払いながら運転し町に入り愕然とした。田んぼには土台ごと流されてきた家が横たわり、昨日まで誰かの家であったろうがれきで埋め尽くされていた。背後では石油コンビナートが燃え黒煙が広がっている。

何があったかわかっているつもりなのに、変わり果てた光景を受け止めきれない。

小中学校の体育館へ情報を求め向かう。

校庭には避難してきた車がたくさん止まっていた。まず避難所を一つ一つあたってみようと話し歩いて行くと、敷地内にある武道館から幸運にも母が歩いてくる姿が見えた。私達は大声で呼び、駆け寄り、抱擁した。

地震の直後、車中のラジオで津波警報を聞いたお隣のご主人が慌てて外出先から自宅に戻り、一緒に車に乗り避難できたと母は話した。

仙台市内に避難する前に貴重品を取りに実家へ行くと家は残っていたが、駐車場や玄関まで浸水した跡があり、辺りはコンビナート火災で焦げたにおいが充満していた。

強い余震とまた襲ってくるかもしれない津波、いまだ消火活動されていないコンビナート火災に恐怖感が込み上げてくる。
家の中に入ると早く、早く出ようと声を掛け合い、車に積めるだけの物資を積んだ。

その後仙台市内に戻り数ヶ月母と暮らした。

他の避難所に逃げ助かった親戚から連絡があり、伯父夫婦が亡くなった事を知った。伯父宅から海までは数十歩。チリ地震でも津波は来なかったからと避難しなかったのだろう、二人とも家の中で見つかったんだといとこが話してくれた。

通信業に勤務する夫は、チームを組み1週間交代で被災地に入り、朝から晩まで避難所で携帯を充電する業務に従事した。常駐して支援活動しているのは自分達だけ。会社間の垣根を越え他会社の携帯でも充電した。できるだけたくさんの携帯を充電し、人と人をつなぐんだ、そんな使命感があったと彼は振り返る。

週末自宅に帰ってくると「全てが流されている、なんにもないんだ。言葉がない。」と首を横に振り、うなだれた。

仙台市内での生活は水道、ガソリン、ガス、足りないものはたくさんあったけれど、生まれ育った町の変わり果てた姿や毎日伝えられる沿岸地域の報道を見れば、命と家があるだけで有り難く、申し訳ないくらいだった。

心配してくれ直接自宅に来てくれた友人、段ボールいっぱいの食料を送ってくれた関東や関西に避難した友人達、山形に避難するからと自分の家にあるもの全てを貸してくれた友人、ガスの復旧が早かったからと携帯型のお風呂湯沸し器を貸してくれた友人、、、たくさんの優しさに触れた。


最近岩手県の被災地に行く機会があった。

土地全体をかさ上げするための巨大な土砂運搬用ベルトコンベアが稼働している。近くのカフェに寄ると店長さんが当時の被害やこれからかさ上げが終わるとどうなるのか丁寧に説明してくださった。きっといろんな方に同じような質問をされていますよね、すみません。と謝ると、いいんですよ、知ってもらいたいから。とニッコリ微笑んだその瞳はまっすぐ前を向いていた。

あの日あの時一人一人に物語があった。
あの日を忘れず、次の世代に語り継ぐ。
当たり前の事だけれどそれが生かされた私達への宿題だ。

2014年11月
渡辺羽音の母


 
JUGEMテーマ:大震災後の復興支援


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