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2014年7月サマーキャンプに参加する石巻市在住の理子ちゃんの意気込み

夢への第一歩
 
今年の夏休み、スイスのサマーキャンプへ参加する事になりました。まさか私がスイスへ行けるなんて夢のようです。初めての海外旅行だし、家族と離れるのはさみしいけれど、今はスイスってどんな所だろうと考えると楽しみです。

午前中はほとんど英語のレッスンらしいのですが、学校では、まだあいさつぐらいしか習ってないので、ついていけるか少し心配です。でも、午後からは、素晴らしい環境の中でいろいろな活動があるようなので、とても楽しみにしています。特に遠足が楽しみです。写真で見ると、スイスは高い山がたくさんあって、どこもきれいで、列車のデザインがかわいいなと思いました。

このキャンプでは、たくさんの外国の友だちを作りたいと思っています。ヨーロッパだけでなく、世界中から集まってくるそうなので、今からワクワクしています。友だちになったら、日本に帰ってきても文通やメールなどをして、ずっと友だちでいたいと思っています。だから、英語を勉強して、日本の事も教えてあげたいです。

私はファッションデザイナーになりたいという夢があります。幼稚園の頃からの夢で、絵を描く事が好きだし、可愛い服が大好きだからです。大人になったら、自分のデザインをした服を、たくさんの人に気に入ってもらえるように作っていきたいと思います。

それまでに世界中に友だちをつくって、いろいろな経験をしたいです。今回のキャンプはそのための第一歩だと思っています。

2014年6月 宮城県石巻市
酒井理子

150周年記念ロゴ
 
 

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理子ちゃんの母のキャンプ参加の感想

キャンプ参加にあたって

この度は、サマーキャンプへご招待いただきありがとうございます。2014年の今年は日本スイス国交樹立150周年にあたり、この記念の年に娘がスイスを訪れる事となり大変感謝しています。

当初、家族と離れて海外へ行く事に、まだ小学生の娘には難しいと思っていました。しかし、当の本人はすぐに行く気満々。
言葉の壁の話をしても、何とかなるから大丈夫と。いつからこんなにたくましくなったのでしょう。

石巻という東北の田舎のみなとまちで育ったのですが、幼くして東日本大震災という歴史に残る災害の中で、失う辛さも新たな出会いも経験しました。電気があって水がでる。食べ物も豊富にある普通の生活のありがたみも経験しました。

そのような中、震災後設立された石巻日日こども新聞のこども記者として活動して2年になります。これまで、地元の方々を始め、被災地復興のために尽力してくれた方々、現在通っている小学校の先輩にあたる曾祖母にまで取材をしました。これらの活動から、自分の可能性を引き出し、積極的にいろいろな事にチャレンジするようになりました。

好奇心旺盛で物おじしない性格は、このキャンプで大いに役立つ事と思います。そこでは素敵な出会いがあることでしょう。
もちろんスイスの広大な自然の中で過ごす日々は、一生の思い出になり、これからを生きる自信にもなるでしょう。

国籍も言語も違うけれど、同年代のこどもたちとふれあい、互いを認め合い、未来につながる何かを見つけて来て欲しいと思います。このような素晴らしい機会を与えていただいたみなさまに恥ないよう、成長して帰って来る事を期待しています。

2014年6月 宮城県石巻市
酒井理子の母

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2014年7月サマーキャンプに参加する石巻市在住の理子ちゃんの東日本大震災体験記

東日本大震災の体験

私は小学2年生だった。ちょうど、来週の月曜日の用意や宿題が書いてある黒板をノートに写している時だった。地震が起きて、すごく揺れて先生の指示で机の下に潜った。揺れが長くて怖かったけれど、仲良しの友だちは、揺れながら机の脚を持ちながら、なぜかニコニコ笑って私のことを見ていた。

その後、体育館へ全校で移動した。ドキドキしていると、おじいちゃんが迎えに来てくれた。揺れで床に落ちたランドセルは教室に置いたまま車に乗った。次から次へと車がやってきて、学校の駐車場から出られない。ようやく出るとまた渋滞していたので、別の細い道を通って帰った。ブロック塀が倒れて、道をふさいでいた。お母さんの運転する車に乗って、弟の幼稚園へ迎えに行った。私は、津波が来るとは思っていなかったので、どうしてこのまま帰らないのかなと思っていた。夜は寒かったけれど、いつもより星がいっぱいでキレイな夜だった。車の中で寝た。

避難所で過ごし、4日目にお父さんが帰って来て、アメをくれた。すごくおいしく感じた。お父さんが帰って来て嬉しかった。

何日か避難所にいて、そのあと、おじいちゃんの家に親戚などが集まって10人で生活した。水も電気もないので、給水車に水をくみに行ったり、朝日が出ると起きて、太陽が沈むと布団に入った。電気が通った高台に住んでいる友だちのおばあちゃんが、毎日ご飯を作ってくれた。私と弟は食物アレルギーがあるので、私たちが食べられる物を、家族の分まで用意してくれた。強い余震が何回もあってずっとラジオをかけていた。

一ヶ月がたって、ようやく水道から水が出て、電気がついた。普通の生活ができるようになって、嬉しくて家族で歌って踊った。

学校が始まってたくさん支援物資をもらった。日本だけでなく、外国からも届いた。私は転校したが、中学校に間借りしているので、遊具がない。私たちが最後の卒業生になる。石巻で一番古い小学校だけど、被災して人数も減って統合する事になったからだ。ひいおばあちゃんやおじいちゃん、おばあちゃんが通っていた歴史ある小学校だった。だからなくなると聞いた時は、悲しかった。先日も最後の運動会があった。6年生として、最後の生徒として、これからの行事一つひとつを、素晴らしい締めくくりができるように一生懸命取り組みたいと思っている。

2014年6月 宮城県石巻市
酒井理子
東日本大震災復興事業寄付

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Essay from Riko: the Great East Japan Earthquake

My experience in the Great East Japan Earthquake

 
I was in the second grade at primary school. It was when I was copying next Monday's timetable and homework from the blackboard to my notebook. The earthquake occurred. The earth started shaking and we all hid under the desks following the teacher's instruction. I felt scared as the shake was long, but my friend was smiling me for some reason while holding the legs of desk.

Then, all students went to the gymnasium. I waited with a pounding heart and my grandfather came to pick me up. Leaving my school bag fallen on the floor in the classroom, I got into the car. The cars are arriving one after another, so it took us a long time to get out of the school parking. When finally we got out, the traffic was also slow, so we went back by another narrow path. A fallen wall blocked the path. My mother drove us to the kindergarten to pick up my brother. I was wondering why we did not go back home directly because I did not know yet that the tsunami would come later. I felt cold at night but it was a beautiful night with more stars than usual. We slept in the car.

We stayed at a shelter and on the fourth day, my father came back and gave us some candy. I found it absolutely delicious. I was glad that my father came back.

After spending several days at the shelter, we moved to my grandfather's house and 10 of us lived together. Having neither water nor no electricity, we received the water from water supply trucks, woke up with the sunrise and went to bed with the sunset. A grandmother, friend of my family living on a hill with the electricity cooked every day for us. Since my brother and I are food-allergenic, she made us what we could eat for all the family. As repeated strong aftershocks continued, we had the radio turned on all the time.

One month later, finally we had the running water and the electricity. We were really happy that we would be able to have a normal life and all the family sang and danced for joy.

The school has started and I received many relief supplies. They were delivered from not only Japan but also abroad. I changed schools. As we borrow a space from a junior high school, there is no playground equipment. We will be the last graduates from this school. It's the oldest primary school in Ishinomaki, but the number of students dropped after the disaster and they decided to merge schools. It was a primary school with a long history where my great grandmother, grandfather and grandmother attended. So, I was sad to hear that it would be closed. Recently, the last sports day took place. I would like to do my best to conclude each of school events successfully as a sixth-grade student as well as one of the last students.
 
June 2014, Ishinomaki City, Miyagi Prefecture
Riko Sakai
東日本大震災復興事業寄付
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理子ちゃんの母の東日本大震災体験記

東日本大震災の体験

職場で地震にあった。揺れながら、これが宮城県沖地震だといいのに…と考えていた。およそ30年周期で起きると言われていたので、覚悟はしていた。2日前にも震度5の地震があった。でもそれとは違かった。いつ来るかわからない宮城県沖地震が、早く終わってしまえばいいと日頃から思っていたから。

でも、何か違う。揺れが長く、停電した。信号も停電し、車同士がぶつかった。

近くの製紙工場や会社の方々は避難し始めたが、急ぐわけでもなく、みな話をしながらゆっくり坂道を登って行った。その時、父が娘を学校へ迎えに行くと言って車で出て行った。防災無線が女川で6mの津波と伝える。

私は避難する人たちとすれ違いながら、走って実家へ向かった。祖父母は玄関先で倒れた鉢植えを片付けていた。逃げるように促すが、ニコニコ笑ってチリ地震でもこの辺まで津波は来なかったから大丈夫と言う。それでも私は二人の手を引いて来たところに、父と娘が学校から帰って来た。父は弟が帰って来たら一緒に逃げるからと言ったので、車に皆を乗せて、途中で母を乗せ、山の上にある息子が待つ幼稚園へ向かった。息子は泣きながら走って抱きついてきた。車に乗ってどこに行こうかと思っていたところに、坂道を走って向かってくるおじさんが「津波だぞー」と叫んで来た。海側を見ると、水しぶきなのか建物の破片なのか、さっきから降り出した雪なのかモクモクと煙のようなものが立ち込めていた。車をより高い所へと思い走らせた。

度々起こる強い余震に子どもたちが怖がらないように明るくふるまって、車内で夜を過ごした。父と弟と合流。真夜中、山のふもとにある小学校が火災で山の住宅地に延焼する恐れがあると避難指示。また車を移動させた。

朝方、ようやく夫と携帯電話がつながる。地震から4日目、やっと家族が揃った。

山の上にある高校の武道館も避難所になり、そこで数日過ごす。食物アレルギーがある娘と息子は、その数日間に支給されたバナナや菓子パンは食べられないので、私が普段から持ち歩いているせんべいと、多分、お豆腐屋さんが配達できなかった分を避難所へと持ってきてくれた豆腐をいただいた。これはありがたかった。

トイレの水は、大人が学校のプールからバケツで運んだ。

4月になって、瓦礫をかきわけ実家へ行ってみた。祖父母が片付けていた玄関先は2m近くの所に津波の跡があった。仕事場も実家への道も、娘の小学校も津波の浸水区域。あと少し避難が遅れていたら…と考える時がある。

ゴールデンウィークにたくさんのボランティアの方々が日本中から来て泥かきや瓦礫の処理をしてくれた。見ず知らずの私たちのために、臭くて汚くて暑い中、黙々と作業をしてくれた。

防波堤の役割をする道路を作ることになった。その高盛土道路が実家や我が家にもかかりそうだ。3年経った現在でも、まだ今後の見通しが立っておらず、この先の生活に不安が残る。

いつでも津波から逃げられるように、車の中には水や少しの食料、防寒着などを積んでいる。また、どこにいても避難経路を考える癖がついた。普段でも車が渋滞していると不安になる。知らない土地に行くと、こどもたちは「ここは津波来る?」と聞くようになった。留守番などさせられない。同級生のほとんどは、市内外の仮設住宅から親の送迎や通学バスで通っているので、放課後はなかなか友だちと遊べない。

当たり前じゃないことを、被災地の子どもたちは当たり前の事として受け入れてしまってきているような気がする。
被災地と呼ばれなくなる日が一日でも早く来るよう、私たち大人は子どもたちを守り、少しでも安心できる環境を作ってあげたい。

2014年6月 宮城県石巻市
酒井理子の母
東日本大震災復興事業寄付
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Essay from Riko's Mother: the Great East Japan Earthquake

My experience in the Great East Japan Earthquake

When the earthquake struck, I was at work. While the earth kept on shaking, I hoped that this was the Miyagi earthquake. It has been said that that it would occur every about 30 years, so I have seen this coming. Another magnitude five earthquake occurred two days ago. However, I felt that this shake was different from that one. I have always wanted the Miyagi earthquake to be over as early as possible, because we never know when to come and it would come sooner or later.

But something was different. The shaking was long, and the power went out. The traffic lights lost the power, and some cars crashed into others.

Workers at the paper mill and other nearby companies started evacuating, but chatting with one another, they casually walked up the hill. Then, my father said that he would go to pick up my daughter from school. The local radio station announced that Onagawa had been hit by a six-meter-high tsunami.

Passing by people taking refuge, I rushed to my parents' house. My grandparents were tiding up fallen flower pots on the front steps. I told them to escape, but they said with a smile that it would be fine because no tsunami had come here even at the time of the Great Chilean Earthquake. Even so, I led them by the hand. Then, my father and my daughter came back from school. My father told me that he would escape out from home once my brother came back. So, I drove everyone, picked up my mother on the way and headed towards the kindergarten on the mountain top where my son was waiting. He came running and hugged me with tears running down his face. When we were wondering where to drive, a man running up towards us cried "Tsunami is coming". Looking at the sea, it was filled with heavy smoke. I was not sure if it was water mist, fragments of buildings or snow which had been falling for a while. I rushed and drove to a higher place.

I behaved in a positive way so that the children would not feel scared by repeated strong aftershocks. We spent the night in the car. My father and brother joined us. In the middle of the night, we received an evacuation instruction because the primary school at the foot of the mountain was in a fire, and that the fire might spread into the residential area. We had to move the car.

Next morning, finally I could reach my husband by phone. Four days after the earthquake, all the family could gather.

The gymnasium of a high school on the mountain was used as a shelter, and we spent several days there. Since my children have food allergy, they could not eat bananas and pastries supplied during our stay there.  They ate rice crackers that I always have with me and some tofu that a tofu shop probably could not deliver and brought to the shelter. This helped us a lot. Adults brought buckets of water from a swimming pool at the school to flush the toilets.
In April, digging my way through the wreckage, I went to my parents' house. There was a two-meter-high Tsunami water mark at the front door area where my grandparents had been. My workplace, the road to my parents' house and my daughter's school were also flooded by tsunami. Sometimes I wonder what if we had started to evacuate a bit later...

Many volunteers came from all over Japan and cleared the mud and wreckage during Golden Week holidays (end April - early May). They worked hard in the hot weather and in a smelly and dirty environment just for us whom they did not know from Adam. 

It has been decided to build a road which functions as a breakwater. This road embankment will probably cover my parents' house and ours. Today, even 3 years after the disaster, we cannot see how this breakwater project will turn out, which makes us unsettling. 

I always keep some water, food and anti-cold clothing in my car, so we will be able to escape whenever tsunami occurs again. Also, I have picked up a habit of thinking an evacuation route wherever I am. I feel worried whenever the traffic is jammed. When we go to places where we have never been before, the children always ask "Would tsunami come here too?” It is impossible to have them stay alone at home. As most of classmates come to school by car or school bus from temporary housing, it is difficult for them to play with friends after school.

I feel that the children in the disaster areas are accustomed to accept situations which are not supposed to be normal in a “normal life”. Hoping that there will come one day when no one thinks of here as disaster area, we, as adults, should protect our children and build an environment where they can feel safe.

June 2014, Ishinomaki City, Miyagi Prefecture
Sakai Riko's mother

東日本大震災復興事業寄付
RikoMotherEarthquakeExerience1RikoMotherEarthquakeExerience2
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2014年サマーキャンプに参加する理子ちゃん、パスポートを取得しました!


「東北の子どもたちをスイスのキャンプへ!」プロジェクトに招待され、今年2014年7月〜8月にかけてアローザ(Arosa)で開催されるサマーキャンプに2週間参加する理子ちゃん、昨日、6月18日にパスポートを取得しました!

東北スイス企画で招待された小学生

現在開催されているワールドカップサッカーブラジル大会で、ブラジルを訪問している日本人観光客がパスポートを盗まれた事件のニュースを聞いて、自分もスイス旅行中にパスポートを盗まれないかと心配しているという理子ちゃん。

2014年夏に関しては、「東北の子どもたちをスイスのキャンプへ!」プロジェクトのボランティアスタッフが成田から同行します。厳密に言えば、成田の前泊からキャンプ地のアローザまでご一緒する予定となっています。

キャンプ地では、キャンプ開催校であるAriana AGが、子どもたちのパスポートを安全に保管してくれます。

キャンプ地からチューリッヒ空港までの電車移動は、再び「東北の子どもたちをスイスのキャンプへ!」プロジェクトのボランティアスタッフが同行します。

日本への帰国便は、子ども一人旅用の航空会社によるアテンドサービス(UM)を利用しますので、チューリッヒ空港から成田まで理子ちゃんは安全に移動ができます。


理子ちゃんのパスポートは、無事に理子ちゃんと共に帰国することでしょう。


キャンプ参加まで5週間余り。

楽しみですね!



理子ちゃんが参加するサマーキャンプについて:
http://www.ariana.ch/en/angebot/index.shtml (英語)

キャンプ開催校である、Ariana AG( Institut auf dem Rosenberg )は、2014年サマーキャンプ企画のメインスポンサーです。



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The Summer 2014 Participant Receives her Passport!


Riko who is invited by the“Bring Tohoku Kids to Swiss Camps!” Project and will participate in a two-week summer camp in Arosa, Switzerland, received her first passport yesterday (2016.06.18)!

東北スイス企画で招待された小学生

She is a bit worried that she may get her passport stolen during the trip as she heard bad news from Brazil where the world cup soccer games are held at the moment.  Some Japanese soccer fans got their passports stolen....

During the train ride between the Zurich Airport and the camp site, Arosa, the Project's volunteer staff will be with her, and during the camp, the camp school, Ariana AG, will keep children's passports safe.

Her passport should go back home with her safely.

Her departure is only five weeks away.

We are very excited for us as well as for her and her family.

About the camp which Riko will take part in:
http://www.ariana.ch/en/angebot/index.shtml (the top camp)

Arina AG ( Institut auf dem Rosenberg ) is our main supporter for the 2014 Summer Camp.


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2014年サマーキャンプの日程



「東北の子どもたちをスイスのキャンプへ! 」プロジェクト
 
2014年サマーキャンプの日程

「東北の子どもたちをスイスのキャンプへ! 」プロジェクトの2014年夏キャンプは、Ariana校で開催されます。

 
日程 内容
2014年7月27日日曜日 成田空港発
チューリッヒ空港着
キャンプ会場のArosaへ電車移動
2014年7月27日日曜日〜
8月9日土曜日
Ariana校の「The Arosa Junior Academy」(2週間コース)参加
2014年8月9日土曜日 キャンプ終了
チューリッヒ空港へ電車移動
チューリッヒ空港出発
2014年8月10日日曜日 成田空港着








 

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2014年夏キャンプ協賛企業様

​「東北の子どもたちをスイスのキャンプへ!」プロジェクトは、企業や個人の皆様の温かいご支援で運営できています。

「東北の子どもたちをスイスのキャンプへ!」プロジェクトの2014年夏キャンプをスポンサーしてくださる企業様のご紹介です。
 
 インターナショナルボーディングスクール インスティテュート・アウフ・デム・ローゼンベルグ(Institut auf dem Rosenberg) http://www.instrosenberg.ch/ (キャンプ校Arianaの母体 http://www.ariana.ch/


       スイスインターナショナル学校


 地球の歩き方 http://www.arukikata.co.jp/

東北スイス企画スポンサー、地球の歩き方

2014年4月に新しく発行されたスイス編もご利用ください。


 日本食材店 Uchino http://www.uchino.ch/

東北プロジェクトスポンサー



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